2014年6月14日土曜日

入院中に部下20人が離反、競合会社設立。慰留に努力するか〜本日の気になった記事〜

http://president.jp/articles/-/12517

Q. 入院中に部下20人が離反、競合会社設立
3年間の入退院を繰り返した後、画期的な治療法をみつけ、1986年に完全復帰を果たす。その直後、社内から離反者が出て、競合会社を設立するという事件が起きた。A案は、裏切りに対する強硬策。B案は、損害を最小限に抑える懐柔策。
  【A】去る者は追わず【B】慰留に努力する(正答率70%)


部下の裏切りや離反。残念ながら、会社を経営していると、こういう事件も起きます。

1986年のソフトウィング事件は、メディアに対して話したことはほとんどありません。僕自身としても、あまり思い出したくないエピソードです。


当時、パソコンソフト業界は500億円規模。日本ソフトバンク(当時)は業界1位でした。だが我々の成功を妬む人間もいたのでしょう。信頼を寄せていた役員を含む約20人の部下たちが、アスキーなどから出資を受けて、ソフト流通会社ソフトウィングを立ち上げたのです。競合会社の設立前までに、社内で不穏な動きがあることは、僕の耳にも届いていました。

去る者は追わず、という考えもあるでしょうが、一度は同じ志を持った仲間です。すがりついて、泣いてでも引き留めたかった。なんとかその行動を押さえ込みたかった。だから選択肢でいえばBだったと思います。でも、留める術がなかった。留めきれませんでした。いま思い出しても、非常に悔しいし、恥ずかしい思い出です。

業績的にも少なくないダメージを受け、事件から2~3年は苦しい戦いを強いられました。彼らはソフトバンクが一から築き培ったノウハウや取引先ルートを丸ごと盗み、僕たちのビジネスモデルを巧みに改良したのです。

ソフトメーカーからは僕たちよりも高く買って、販売店には僕らよりも安く卸す。当然、メーカーからは「こいつらいいヤツだ、高く買ってくれる」と喜ばれ、販売店からも「いい人たちだ。安く卸してくれる」とありがたがられる。結果的に僕たちの「取引口座」もかなりかすめとられました。

しかし、現在ではその会社は存在しません。94年にカテナ(現システナ)に吸収合併されました。採算ギリギリの低マージンで先行する僕たちを追撃したものの、91年以降、景気低迷などで風向きが変わるとそれまでの無理な営業のツケが噴出したのです。

この一件で痛感させられたのは、会社を持続可能的に成長させていくためには、営業手法などのスキル以上に、会社としての志をいかに社員と共有するか、ということの重要性でした。

こうした裏切りのストーリーは小説やドラマの定番ですが、裏切った人たちが後々に成功するという筋書きは、あまりありません。結局のところ、目先の利益にとらわれた経営ではいずれ行き詰まり、ともに働く仲間からも見捨てられてしまうのでしょう。

東京大学経済学部教授 高橋伸夫氏が解説


「裏切り」にあたるかどうかは当事者の受け取り方による。だが禍根を残すことがあれば、事業の継続性が危うくなるだろう。倫理観を疑うような「裏切り」であれば、部下はついてこないし、一時的についてきても「失敗した」と思うようになる。一般的には「一緒に仕事をした」という経験の有無が大きいようだ。このケースは孫社長が病気で不在だったときのトラブルだったため、「裏切り」の要素が大きくなったのではないか。

〜ここまで〜
私は懐柔策をとりがち。情で考えるのではなく、冷静に起こるであろう事象を考えて行動する!

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