2017年5月8日月曜日

本日の反省

◯ 知識を扱う現代のリーダーと、労働力を扱う旧来のリーダーの6つのちがい(室長、リーダーシップ)
http://blog.tinect.jp/?p=18605


ガキ大将を挙げる人も多い。 では、ガキ大将は本当にリーダーだったのだろうか?

一昔前の会社、戦時中、緊急時においてはそういったリーダー像は間違っていないだろう。

だが、現代の平時においてこれは多分に疑わしいと言わざるを得ない。 単純にチカラが強く、権威によって人を従わせることができるだけではもはやリーダーの役割は果たせない。
「知識」を扱う現代のリーダーの役割はもっと複雑で、困難だ。成し遂げなければならないことを定め、それに対するアイデアを持つ人を使い、 全体の方向をまとめてアウトプットし、成果をあげさせる人がリーダーだからだ。

1.現代のリーダーは、ビジョンを重視し、旧来のリーダーは権威を重視する
2.現代のリーダーは、メンバーの意見を重視し、旧来のリーダーは自分の意見を重視する
3.現代のリーダーは、意見が違うことを重視し、旧来のリーダーは意見が揃うことを重視する
4.現代のリーダーは、行動を重視し、旧来のリーダーは計画を重視する
5.現代のリーダーは実績を重視し、旧来のリーダーは肩書を重視する
6.現代のリーダーはメンバーに「ルールを破れ」と言い、旧来のリーダーはメンバーに「ルールを守れ」と言う。



◯ マネジメントの方法(管理者の心得、室長)
http://blog.tinect.jp/?p=18098

人が他者に従う条件は、幾つかあある。

1恐怖、脅迫によるとき
2心酔しているとき
3権威に従う時
4メリットがあるとき
5協力したいとき


1.は最もわかりやすい。時に身体的、経済的苦痛や脅迫によって人は人を従わせようとする。

だが恐怖による従属は長続きしない。ストレスにより、従う人間は遅かれ早かれ離反するか、反抗する。歴史的に見ても、恐怖政治の政権が長く続くのは、まれな例であり、遅かれ早かれその集団のパフォーマンスは落ちていく。

短期的なパフォーマンスは上がるかもしれないが、長期的には問題を引き起こしかねない選択である。



2.について、憧れ、思慕なんと読んでもいいが、ある人物に対して個人的に好意を抱いている場合は、盲目的に従属することがある。カリスマ的指導者は、この力によって人を従属させる。

一種の「洗脳」とも言えるが、企業がこれを用いることについては賛否両論あろう。



3.で有名なのは「ミルグラム実験」だろう。ミルグラム実験は、「他者に電気ショックを与えることを命じた場合、人はそれに従うか?」を調べた実験であった。

恐るべきことに、被験者の60%以上は、「権威」があれば人を死に至らしめる可能性のある電気ショックを与えることも辞さないということがわかったのである。

人は権威に弱い。「命令だから」と言いつつ、その実は「考えないことが楽」という根源的な人間の性質がある。ただし、これを用いると「盲従する従業員」を生み出すことになる。

上司の「考えるな、動け」という命令はこの一種である。



4.金銭、地位など何らかのメリットがあるときには、人は損得勘定から動く。

ただし、これの根本的な問題は「報酬に慣れてしまうと、効果がなくなる」という点だろう。「報酬で人を釣ろうとする」という行為が持続的手段とみなされていないのは、このためである。

なお、1.と組み合わさると「アメとムチ」という伝統的管理手段となる。



5.について、正確には「命令」と呼ぶことはできないのかもしれないが命令する側と命令される側に協力関係がある時、命令された側は進んでそれに協力する。

ただし、この方法は極めて高度な方法である。「上司たる自分」のメリットと、「部下たる他者」のメリットを真に一致させなければならない。

したがって、この方法を使うには「部下の欲することを知る」「会社、自分の欲することと調整をする」という部下に対するマーケティングが必要であり、高い力量が必要となる。

★ 「頑張るのがつらい」と感じたら、何かが間違っている。(管理者の心得)
http://blog.tinect.jp/?p=18088
継続することが最も重要。


◯ 「やりがい」を強調する会社ほど、本当はあまりやりがいのない仕事(管理者の心得)
http://blog.tinect.jp/?p=18112

「成長」とか「夢」とか「やりがい」とか、うちはそんな派手なものはないけど、誠実に仕事をする人が報われるように社長が頑張っている。

仕事って本来、やりがいとかを強調するようなものではないんじゃないかな。

「いいお客さんと、いい仕事を用意すれば、社員は勝手に仕事を楽しんでくれる」

★ 人事は不平等を生み出すものでないといけない(管理者の心得)
http://blog.tinect.jp/?p=17880

降格に対し「可哀想ではないか」という意見に対して。

「可哀想じゃないですか」と擁護する人は、人事にとって最も悪影響がある人です。「可哀想」という感情は、大抵の場合その根拠が「身勝手さ」だからです。

身勝手さの根幹は、一言で言うと「物事を客観的に見たくない」という一種の甘えです。

結局彼らは課長のことが心配なのではなく、「結果の責任を取らされること」を見るのが嫌なだけです。それは課長のために言っているのではない。「自分にとってどう利益があるのか」だけで物事を判断する心です。

人事を考える上で最も重要なのは、能力を持つ者、結果を出した者、勇気ある者を優遇し、能力の不足する者、怠け者にに対しては警告を発することです。

それ以外の全ての仕組みは、組織にとって何の意味も持ちません

今回、可哀想ではないか、という意見は「不平等だ」と言っているのでしょう。しかし会社は不平等にするからこそ、活力が生まれるのです。



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