2015年2月28日土曜日

昨日の気になった記事〜君は批判する権利があるか? 批判のマナーを教えてくれた教授の一言が人生でめちゃくちゃ教訓になっている〜

ぼくは意気揚々と相手を「批判」したつもりでいました。
「この部分は事実認識と甘いんじゃないですか」
「この部分に対してのヨーロッパの視野は狭すぎませんか」

「……、ということでちょっと良い主張とは思えませんでした」


自信満々のぼくの「批判」に教授が言った一言は
ぼくが批判を考える上で大学生活6年間の中で今でも大事な言葉です。

大学のゼミでの発表のとき。
EUについてある著書を読んできて、それについて自分なりに著者の意見を読んで、自分なりに批評・批判せよという課題が出ていたときの話。


自信満々に上のような意見を言ったとき

教授から意見される。
「ちょっと読み込み甘いというか、もう少し著者の意見に耳を傾けましょう」

え、なんで。きちんと読んで批評したんだけど……
そう思いました。

そのときに教授が言った次の一言が今でも記憶に残っていて

「佐藤さんの指摘している点はある意味で正しいかもしれません。
 けど、著者の本当に言いたいこと、何を言いたいのかということを
 本当に理解しようとしてから、そういう点を指摘してますか?」

いや、ええっと……


「その人が本当に言いたいことを理解するつもりで意見を聞き
 その言いたいことを結論づける上で根拠や理由に不十分な部分があるなら
 それは指摘して『あげる』必要があるんです」


そこでハッとする。


自分の意見は、重箱の隅をつついて、ただ
「間違ってやんのー。 やーいやーい、減点〜」
と言っている子どもの頃と同じだったということ。



その著者が言いたいこと。
EUをきちんと機能させて、ヨーロッパを、世界を、できる限り幸福にしよう。
そしてそのためには、こうすべし。


そんなシンプルで、前向きなエネルギーを、
ぼくは理解しようとしていなかったのです。
その上で
ただ、わけも分からず、足をひっぱろうとしていただけでした。
(ぼくの批判が果たして足を引っ張るほどのエネルギーがあるかどうかはさておき)


ぼくはそのとき最初から

「批評せよ」「批判せよ」
ということだったので、著者の意見の甘いと思ったところを指摘しようと思って文献を読んでいて。

そんな最初から批判ありきな状態なら
相手の本当に言いたいこと、実現したいことなんて気にするわけありませんでした。



そもそもぼくらが議論をするのは
「時間」という大事な限られた資源を使って、
少しでも得しようとか
少しでも楽しくしようとか
少しでも誰かを救おうとか
少しでも世界をより良くしようとか
そういう「前進」や「変化」を生み出すためで。
「正しい」「間違い」とかの点数付けをして
今日の暇つぶしにやんややんや言うためではありません。
大学や企業での議論なんてなおさら。




だから、相手の小さなミスを指摘して減点させて喜んでいても意味がない
それは相手への優しさだけではなくて、自分にとって大事ではないことに時間をかけないということにもつながる


相手の大きな大きな本当に言いたいこと、実現したいことへの方向性や、道筋を理解しないと
相手を「こうやって進んでみたら?」と前に進ませる上で、
あるいは相手を「ちょっと待て」と引き返させる上で
全く意味がない


その方向に進みたいのはわかった。
けど、その道は、危ないからだめだ。間違ってるからだめだ。



そういうことを言うから、思いやりや情熱を持った本気の意見になる。
そのとき、自分も時間をかけるほど本気。
それが、批判。

批判するということは、違うよ、と言われるから多少なりとも苦い意見になる。
批判は、苦い、良薬。
だからその良薬の飲み方と、飲ませ方は気をつけたいな、と。


自分が批判される側になれば、
もしも相手が
「自分の本当に言いたいことや、実現して欲しいと思っていることを理解しようしている人だなあ」と思ったら、
多少苦い意見でも耳を傾けたい。


けども一方で
自分が批判する側なら、
そういう相手の本当に言いたいこと、実現してほしいことに耳を傾けてから意見したいし
できることならその理解したいという気持ちを言葉で丁寧に表したい。
だって調子がいいときは
自分と違うことは素直に聞けるけど、
調子悪い時、
たとえば歩いていたら小さい石につまづいたりとか、
好きな異性にそっけなくされたりとか
そういうとき、
ぼくらはいつものように苦い意見をしっかり聞けなくなったりする。
苦い薬も飲める調子の良いときと、悪いときがあるから。

だから、言葉にしてあげたい。
あなたの言いたいことは理解したいと思った上で、言いたいんだ
と。

意識すること
・ 批判する時は相手の言いたいことを理解した上で、言いたいことをさらに発展させるために行う。相手の小さなミスを指摘して減点させて喜んでいても意味がない。それは相手への優しさだけではなくて、自分にとって大事ではないことに時間をかけないということにもつながる

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