2015年2月21日土曜日

本日の気になった記事 〜失敗から学ぶことが難しい理由とその対策〜

http://www.lifehacker.jp/2015/02/150219learn_from_mistakes.html

失敗から学ぶことの大切さは、誰もがわかっていると思います。でも、口で言うのは簡単ですが、実行するとなるとそんなにうまく行きません。どんなに学ぼうと努力しても、脳がブレーキをかけるのです。そんな状況を打開するための、ノウハウとアプローチ法を紹介しましょう。

失敗を認めたくない

「あれは失敗ではなかった」と、現実をゆがめてしまうことがあります。残念ながら、失敗から学ぶためには、失敗を失敗だと認識しなければなりません。それなのに、後悔したくないから言い訳を探してしまうのです。「自分のせいじゃないんだ。もとからああなる運命だったんだから」と。これは、失敗から学ぼうとするあなたにとって、大きな障壁になります。だから、克服しなければなりません。
このように、自分の過去の選択にさかのぼってポジティブな意味づけをすることを、「選択支持バイアス」と呼んでいます。好例が、購入後の正当化を意味する「購入者のストックホルム症候群」でしょう。大金をはたいて買ったのに1度も使ってないという経験、あなたにもありませんか? そんなとき、心の奥では失敗だったとわかっているけれど、お金をムダにしたことを認めたくなくて、あれは必要なものだったのだと、正当化を図ろうとします。
その他の失敗に対しても、脳は同じように働きます。砂糖たっぷりのお菓子を大量に食べて「自分へのご褒美だからいいじゃない」と言い聞かせたり、ジムをさぼってしまい「たまには休まないとね」と言い訳をしたり、プロジェクトが失敗したのは「自分のアイデアに時代が追いついていないからだ」と言ってみたり。
後悔したくないという考え方は、誰もがしてしまうもの。だから、そのような考えに陥らないような対策が必要です。そこで、自分の罪を免れる、最高の言い訳を探してみてはいかがでしょう。
自分の行為を認めるのは容易ではありませんが、それをしない限り学ぶこともできません。だったら、失敗の定義を変えて、失敗は誰もがすることだと考えてください。失敗から何も学べないと思ってしまうことは、失敗を受け入れることよりもずっと恐ろしい事態です。

「次はうまく行くさ」という魔法の言葉
狂気の定義は、同じことを何度も繰り返して、違う結果を期待することだと言われています。でも、数学の公式を思い出してください。あなたはそれに代入する変数のようなものです。変数が変わらない限り、答えが変わることはありません。
私たちは、一定の成果が得られないと、原因を外に求めてしまうことがあります。自分ではどうすることもできない変数が公式に含まれていて、いつかきっと、その変数がいい値になる日がある。だから、同じルーチンをずっと繰り返していれば、いつかはスロットの目がそろってジャックポットを当てることができるのだと思ってしまうのです。
「ギャンブラーの錯誤」と呼ばれる認知バイアスも、これによく似ています。コインを50回投げてすべて裏が出たら、次は表に違いないと思いがちですが、そんなことはありません。確率は毎回同じであり、表が出るか裏が出るかは、完全にランダムなのです。無限にコインを投げ続けて、1度も表が出ない可能性もゼロではありません。
この種の思考パターンは、どんなときでも起こります。仕事で課題が出されて、納期に間に合わなかったとします。上司に叱責されたあなたは、「その週は異常に忙しかったから」と言い訳をします。次の週も同じことをしてしまいましたが、今度は「家でやることがたくさんあったから」と言い訳をするのです。この例は、ギャンブルとはだいぶ違う話に聞こえるかもしれませんが、コンセプトは同じ。つまり、何らかの根拠をもって、次は違う結果になると考えているのです。たとえばこんな感じです。

こうなっているのは自分のせいじゃないから、今まで通りやればいいんだ。

来週になったらすべてがうまく行くはず。来週はついに、コインが表になるんだ。

残念ながら、そうはなりません。少なくとも、そうなる保証はまったくないのです。それよりも、自分の1週間を詳細に分析して、何が仕事の障害になっているのかを考えてください。早く始める、インターネットのムダ時間を減らす、必要なら助けを求めるなど、方法はいくつもあるはずです。コインが落ちてくるのを待たずに、空中でつかんで、表向きに置いてしまいましょう。失敗が勝手に消滅することはありません。失敗を正すのは、あなたの役目です。

原因を明らかにしない

勇気を出して自分の失敗を認めても、原因がわからなければ、そこから得られるものはありません。教材がなければ、授業は成立しないのです。たとえば、あなたはいつも寝坊してばかり。そこで、目覚まし時計をいろいろ変えてみたのですが、効果がありません。それもそのはず、本当の原因は、夜更かしだったのだから。つまり、最初に現れた問題を真の原因だと思わないことが大切。疑わしいものについて、片っ端から証拠を集めるのです。
複雑な問題なら、できるだけ過去まで振り返ってください。必要であれば、それをフローチャートのような形で書き出してみては。出来事の流れをつかんで、自問しながら、選択肢を狭めていきましょう。自分に問うべき質問は、こんな感じです。

出来事の発生順序は?
小さな失敗が積み重なって大きな失敗になったのではないか?
間違った仮定をしなかったか?
解決しようとしていたのは正しい問題だったのだろうか?
同じ状況で、ほかにどんな選択肢があっただろうか?

それでも原因がわからなければ、そもそも不可能なことに挑戦していたのではないかと自問します。そうだとすれば、あなたのしたことは失敗ではありません。失敗に注意深くラベリングしたうえで、あらゆる証拠によって避けらない事態だったことがわかっても、落ち込む必要はないのです。
ついつい、時間に解決させてしまうこともあると思います。確かに時がたてば傷は癒えますが、それと同時に、大事な詳細を忘れ、物事を楽観的に見るようになってしまいます。たとえば、こじれた人間関係を振り返るとき、あれは相手のせいだったと考えてしまうことはありませんか? でも、当時の自分の行動からも、学べることはきっとあるはずです。
時間がたたなければ自分の失敗に気づけないこともあるでしょう。あまりにも大きな失敗を犯すと、感情が私たちを凌駕して、視野がぼやけ、まともに考えることができなくなります。ですから、ときどき振り返る時間をとって、そこから学べることがないかを考えてみてください。失敗を犯した当時に何も学べなかったからといって、今でも何も学べないかというと、そんなことはないのです。

客観的になれない
ひとりではどうにもならない時もあります。自分の失敗に気づき、すべての行動を詳細に分析しても、依然として原因がわからないこともあるのです。自分が無意識のうちにしている行動に原因が隠れていて、目に入っていないのかもしれません。その場合は誰かの助けが必要です。
ただし、ヘルプを要請しても、必ずしも原因がわかるわけではありませんし、場合によっては不快なことを聞くはめになるかもしれません。「Productivity501」のMark Shead氏は、ヘルプを要請する際のマインドセットについて、こう述べています。

本当に相手からのインプットがほしいと思わない限り、これはやめておいた方が無難です。たとえば、あなたが仕事をクビになったとします。その後、職場で仲良くしていた友人に、自分が犯した失敗について聞きました。その友人の回答に、反論はしないでください。賛同できなくても、内に秘めておいたほうがいいでしょう。その友人は、社会的規範を破ってまで、あなたに誠実に話してくれているのです。友人の意見が役に立たなくても、それはあとのためにとっておいてください。今は関係ないと思えても、1年後には何かの役に立つかもしれません。

助けを求めることは、決して弱いことではありません。むしろ、自分をさらけ出すには強さが必要です。もし、他人からの意見を聞くのが不快であれば、視点を変えてみてはいかがでしょう。問題を多角的にとらえたり、他人の失敗と考えてみるのもいいかもしれません。他人の失敗を正すほうがやりやすいこともあるので、友達を助けてあげるつもりでいれば、解決できることもあるでしょう。

挑戦すらしない
最悪なのは、事態の悪化は自分のせいだと知りながら、それを直そうともせずに、諦めてしまっている状態です。「自分はダメな人間で、何も計画通りにいかない」と、不満ばかりを述べていませんか? 残念ながら、大きな痛手を負わない限り、それに気づけないことがあります。
だからといって、その痛手を待っていてはいけません。事前にそれを捕まえて、自分で何とかするのです。ヘマをやらかしたからと言って、自分を卑下する必要はありません。それが積み重なると、「自分は何もできないんだ」と思うようになってしまいます。そうなる前に、ギアを入れ替えて、自分の短所に対する見方を変えるのです。ものの見方は、変えようと思えばいくらでも変えられます。ですから、挑戦することをやめないでください。あなたを妨げる唯一の障害物は、あなた自身なのです。


失敗を正当化しないこと。周囲の変化を期待しないこと。正しい原因を把握すること。挑戦し続けること。そう、挑戦こそ人生なのです。失敗は誰もがすることなので、恥ずかしいと思う必要はありません。ですから、失敗を楽しんで、そこから学べる方法を見つけてください。

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